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勝頼公が
 最期に目指したお寺

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深山幽谷の禅道場として開山

昼夜の岩坐禅 雨天の岩窟坐禅 日差し強ければ樹下坐禅

標高1,050mの深山幽谷にある栖雲寺は、貞和4年(1348年)業海本浄によって開山された禅寺です。業海は元(中国)へ渡り、杭州天目山の中峰明本のもとで修行をします。1326年に帰国するも、その後22年間業海の足跡を知る資料は残っておりません。全国各地を行脚した結果、この地にたどり着いたのでしょう。杭州の天目山によく似たこの場所を生涯の修行道場として寺を開き、正面には富士を望む禅庭の石上、岩窟、木陰で日夜坐禅をされました。  

 

武田家の歴史あふれるお寺

信玄公にとっての聖地 新生武田の原点 リボーンの場所

業海示寂後69年、武田信満(武田家第十三代当主=信玄より六代前)が天目山で自害し武田家は断絶の憂き目にあいます。
しかし、その後大混乱に陥った甲斐国を救ったのもやはり武田でした。室町幕府は、出家して世捨て人となっていた信満の息子を還俗させ甲斐守護に据えます。その後の武田の繁栄は広く知られるところ。

信満公の菩提寺となって以降は、断絶の危機を乗り越えた新生武田の聖地として庇護を受け広大な寺領を持ち、東日本の幻住派(中峰明本を師とする法脈の一派)の中心的寺院として大いに栄えましたが、信玄没後は勝頼が天目山の戦いで織田信長に敗れ、最期に栖雲寺を目指すも織田の手が早く全焼の難を受けます。それを見た勝頼は失意のうちに引き返し自害して武田は終焉します。しかし徳川家康の寺領寄進を受けて伽藍を再建、旧観を取り戻しました。衰退はしても、戦火を免れた本尊、開山像など、多くの文化財を有する古刹として現在に至ります。  

 

蕎麦切り発祥の地

「蕎麦切りは甲州よりはじまる・・・」         尾張藩士天野信景著の雑識集『塩尻』より

それまでのそばがきから、うどんに学び切って食べたのは、元の杭州で麺打ち技術を学んだ業海本浄がはじまりと伝わる。
禅宗では料理も修行の一つとされています。また杭州は南宋時代から麺屋や多くの飲食店が営まれていた都だったこともあり、業海の杭州生活時に学んできた中国文化の一つに麺づくりがあり、帰国してその技術を広めたと伝わっております。業海に参じた雲水と共に蕎麦切りを食しながら、隠遁生活を極めた中峰明本の教えを徹底して守り、この地この禅庭で修行をしていたのでしょう。